伝えたい真実(と俺が信じているもの)が3つあり、仮説が1つある。
おおまかに分類すると、これらについてしつこく言及していくことになる、と思われる。あとはメタ記事とか雑多な話題とか、何でもありといったところ。まあ、性格上どうせこっちのほうが多くなるだろう。
伝えたいといっても、もちろん世の大馬鹿ネットユーザーを始めとした盲目の羊達に伝えたい真実なんてひとつだってありはしない。だから偶然たどり着いてしまったのなら、「あ、キチガイが何か言ってるw」と思ってくれ。できるだけそう思われるよう、文章や構成を工夫していく。恐らく理解できるのは昔から俺のことを知っている人だけだろうし、それが俺の望みだ。
長い話になりそうだ。たぶん5行くらいの命題を書けば終わってしまう簡単な話だが、これは読者の常識を覆さなければならないという意味で難しい話だから、じっくり書きたいと思う。
糖質制限という言葉を聞いたことがあるだろうか。断っておくが俺はやっていない。しかし、一つ真剣に聞いて欲しい。この糖質制限論者の中に仙人様のように恐ろしくストイックで、ぜんっぜん空気を読めない変人がいるのだ。一見すると怪しい宗教の教祖のような人なのだが、どうやら何の型にもはまっていない。何しろ、こんな人は見たことも聞いたことも、想像することもされたこともなかった。その人の名は釜池豊秋という。勤務医から開業医となり、臨床経験も豊富だったが、いまは山羊を飼ったりそれを愛でたり屠ったりしながら、仙人のような生活をしているらしい。
さて、現在一部でブームになりつつある糖質制限ダイエットというやつは、『Sugar Basters!』、『糖尿病の解決』、『アトキンスダイエット』、『糖質ゼロの食事法』、『炭水化物は人類を滅ぼす』、といった出版物によって世に認知されつつある。この中でも『糖質ゼロの食事法』における釜池理論は特にトンガっていて、何しろ糖質は制限どころの話ではない。「ゼロ」だ(実際は5gだがゼロを目指さなければ不可能なことは、やってみるとわかる)。そして朝飯昼飯は不要、夕食のみだという。(つづく)
続き。
さて、その仙人釜池の「糖質ゼロ食」をおさらいすると、糖質5gまで、かつ、夕食のみ、という正に仙人御用達の食事内容であった。これを実際にやろうと思ったら、夕食に肉、魚、卵ばっかり食わなければならない。野菜をたらふく食べて空腹をごまかしたりしていたら、摂取エネルギー不足で破綻してしまうからだ。働き盛りの俺のようなオッサンや、食べ盛りの子供には到底無理な話。仙人御用達というのはそういう意味も込めている。驚くべきことに、これを自ら実践しているという。
いわば俺は現代に生きる仙人様を発見したのだ。しかも彼の本を読み、講演を聞く限り、決してキチガイではない。しかし哀れ仙人様、当然のことながら、良く言えば一般的で常識的な(正確に言えばステレオタイプな)人々からは、ハブられる結果となってしまう。
糖質制限界隈で有名な江部康二医師は、糖質制限の理論を構築する際、彼とメールのやり取りを行って疑問点を消していったという。まあいわば師弟関係にあったといっても過言ではない。しかしこの2人は、全くつまらない理由で袂を分かってしまう。
5年ほど前、2人はメールで議論をした。仙人によると炭水化物とは糖質と食物繊維のことである、と。江部氏もそれをはっきりと認めた。しかし仙人「いやおまえはこの本のここにこう書いた!だから知らなかったんだ!やーいやーい!(意訳)」というメールをしつこく繰り返した挙句、「もういいっす(意訳)」と愛想を尽かされてしまうのである。いやまあ、仙人の意図が何だったのかは誰にもわからないが、傍から見ている第三者には、俺の意訳のようにしか思えなかったであろう(笑)。空気が読めない、あるいは読まない。まるで子供のようだが、過激にストイック。
なんてキュートな仙人様なんだ(笑)。俺はもうこの人の虜になってしまった。つまり、この人は絶対に真実(と信じていること)しか口にしない人なのだと、この糞みたいな議論を読んでいて俺は確信した。頭では無理と分かっていても、この「釜池理論」を試してみたくなったのだ。
どういうことなのかお分かりいただけるだろうか。世の中の善意ある人々も、そうでない人々も、決して自分が真実だと思っていること、自分の中の真実、を教えてくれることはないのだ。だからたとえ真実の一部分だとしてもそれをやれてしまう人に、俺はものすごく希少価値を感じる。面白い!と思えてしまう。
閑話休題、とうとう耐え切れずに、俺も「釜池式糖質ゼロ食」を試してみた。何故かって、健康法だからではない。仙人の感覚を体験してみたかったからだ。あるいは、真実を知りたかったからだ。
すると、まず2週間目にして、(驚くべきことに)30年来悩まされてきたアレルギー性鼻炎が治っていることに気づいた。俺は物心ついた頃から、鼻が片方詰まっていた。どちらか一方が完全に詰まっているからか、吸入量が極端に限られる。当然安静時以外は鼻呼吸なんて出来たもんじゃなかった。人に話すと結構驚かれるし同情されもするが、自分としては別にどうということもなかった。それくらい当たり前だったのだ。一度耳鼻科にかかったこともあるが、手術しないと治らんと言われていたので完全に諦めた。それが「治った」。俺は初めて鼻で呼吸ができることを「知る」ことができたわけだ。ついでにいうと、30代からしつこくしつこく、へばりついていた背中ニキビも一瞬で治った。
そして、天地がひっくり返るくらい嬉しかったのは、ある種の頭痛が完全に消失したことだ(2ヶ月目にして確信した)。俺は昔から色んなタイプの頭痛に悩まされていて、特にその中でも、長時間労働から開放され、リラックスした状態になると発生するうざいタイプの頭痛は、休日を台無しにしてしまうので心の底から憎んでいたのだが、それが全く発生しなくなった。残念なことに、つまらん研修で2時間以上の座学を強いられると9割の確率で発生するタイプの頭痛は治らなかった(笑)。
俺は糖尿病でもなければ肥満でもない。BMI22の、糖質制限ダイエットなんかとは無縁の極地にいる身体だったが、釜池豊秋氏に惹かれて糖質ゼロを始めてみたという、恐らく極めて珍しい例だと思う。糖尿病が治るとか、ダイエット効果があるとか色々言われているが、そうではなくて、この食事法はひょっとしたらヒトが本来そうしなければならなかった、あるいは太古の昔からそうしてきた、必然的な、自然な方法なのではないかと思い始めた。たまたま俺がアレルギー性鼻炎で頭痛持ちで、何らかの機序でこれらが治ってしまったから、関連性が強く疑われる糖質ゼロ食の信者になってしまう、というバイアスは十分に承知している。というか、何よりまずもって自分自信でその疑いを晴らすべく、機序を調べ、考察を深めていった。
個人的な結果として分かったのだが、糖質をゼロにするという食事は俺にとっては必須のものではなかった。必須なのは食事の頻度を落とすということだけで、割りと好きなだけ糖質を摂取していても、この体調の良さはキープしている。鼻炎も頭痛もないままだ。仙人生活の良いとこ取りができたとも言える。
結論から述べてしまうと、ことの本質は次の命題で表現できる。
この「絶食状態」というのが主観的、常識的な表現で、曲者なのだ。「絶食」という言葉は、辛く、非日常的で、反社会的な響きを持つが、現代人の常識をひっぺがし、自然界の常識を当てはめてやると、この命題は次のように書き換えることができる!
これが、釜池仙人がやったパラダイム転換を表現していると俺は思う。これが俺の伝えたかった「真実」だ。つまり、特大の常識がひっくり返されたと、俺は言いたいのだ。
朝食、昼食を摂れない程度のことは「飢餓」なんかじゃない、それは普通のことなんだ、ということだ。それを「飢餓」と呼ぶのなら、その「飢餓」が人が自らの身体の恒常性を保つのに非常に役立つ状態といえる。そうなると「飢餓」という言葉の持つイメージが、その実態にそぐわなくなってくる。
便宜上、今後も括弧付きで「飢餓」という言葉を使うが、この話が理解できた頃にはそれはもはや「飢餓」ではないことに気づくだろう。
俺の身体は「飢餓」モードに切り替わっているので、朝起きて夕食を摂るまで何も食わないと次のようになる:
付き合いで昼食を取らざるをえないこともあるが、別に気にせずに食っている。ただしこの時は炭水化物(糖質)は出来る限り抜く。そうするとこの体質を維持できる。
さて、これは果たして「飢餓」なのかって話だ。
食事を摂ると身体にはエネルギーが蓄えられるが、何のために蓄えられるのかといえば、もちろんいずれ取り崩すために決まっている。自明のことだ。しかし何らかの理由で、これを取り崩すことができないとしたらどうか。ある人は肥満を亢進させ、ある人は摂った食事を活動によって全て使い切る。いずれにしても、蓄えられたエネルギーは使われず、摂った食事がすなわちエネルギーとなって消費されるのだ。
誰の話をしているのだと思う?あなただ。我々だ。ほぼすべての人々についての話をしている!
人々は、溜め込んだエネルギーを取り崩すことができないでいる。野生動物たちが使っている通常のエネルギーを、使うことができないでいる。それは2つの理由による。ひとつめは、食事が瀕回すぎること、もう一つは、その食事の内容に中毒性があることだ。
おかしいと思わなかっただろうか? 不安に思わなかっただろうか? 俺は高校生の頃、疑問を持っていたし、とても不安だった。何がって、「もし、生身のまま自然界に放り出されたら、3回の食事を用意する自信が全くない」ということについてだ。こんな頻回な食事をしなければ腹が減って生きていけない体だとしたら、人間の脆弱性とは一体どれほどのものだろうか。いやいや、そんなはずはないと、何度も自問したものだ。だがその疑問も解決された。
蓄えられたエネルギーを使えるようになる前に、次の食事を取らざるをえない。そんな単純な理由で、人々は本来使うべきエネルギーを使うことができないでいる。そしてそんな単純なことなのに、気づいている人が殆ど居ないのだ。ここまでの話を理解するのに栄養素なんか出てこないし、生化学の知識を登場させる必要もない。それ程に単純であり、それ故本質的な話だということが分かるだろう。
血液中のブドウ糖濃度(血糖値)が上がる食事には、中毒性がある。こういう食事をしていると、脳はブドウ糖を優先的に使うようになってしまう。この状態で血糖値がある程度下がると、脳はブドウ糖を要求してくるようになり、飢餓感を伴う空腹感を生む。そしてその空腹感により1日3回以上の食事を取らざるを得なくする。
しかも血糖値が上がった状態が続くと血管が破壊されるので、人体は血液中のブドウ糖を速やかに処分するためのホルモン、インスリンを分泌する。つまり身体が優先的にブドウ糖を利用するように働きかける。たとえば体脂肪からエネルギーを取り出させないように仕向け、優先的にブドウ糖を使わせるのだ。一度インスリンが分泌されると、このブドウ糖優先の代謝が数時間続く。つまりこの間、インスリンの妨害によって脂肪からエネルギーを取り出せなくなる。
現代人はそんなカラクリで、絶えずブドウ糖の代謝を繰り返しており、脂肪からエネルギーを取り出すことが出来ない。
この連鎖を断ち切るにはどうすればよいか。方法は色々あるだろうが、食事回数は減らさずに、糖質を断つことから始めると続けやすそうだ。糖質だけが、消化されるとブドウ糖に直接変化し、中毒性の、飢餓感を伴う空腹感を生むからだ。
このような空腹感から開放されたら、自分の体が欲するままに食事の頻度を減らしていけば、体質革命が完了する。
食事をして貯めこんで、活動をして使う。活動で得た食料で食事をして貯めこみ、また活動をして使う。これが何億年と繰り返された生命の営みであることは疑いのないことだ。恐竜がおやつを背中にしょって狩りに出かけていたとでもいうのか。違う。おやつではなく、腹に最低限の脂肪(とグリコーゲン)を蓄えて狩りに出かけていたに違いない。人が使うべき(使っていた)本来のエネルギーとは、脂肪(内臓脂肪、皮下脂肪)なのだ。何万年前とかいうつもりはない。ほんの100年程前までは、脂肪を燃やして生きる人々であふれていた。では、我々が脂肪の代わりにエネルギー源にしているものの正体を暴いていこう。
人々は、朝になると腹が減り、昼になると腹が減り、夕時になるとまた腹が減る。それだけでは飽きたらず、間食をする人もいる。驚くべきことには、喉が渇いたといって行われる「間食」もある。砂糖水を飲んでいる場合これはエネルギーとなるのであり、「間食」に含まれる。溜めたエネルギーなど使っている隙がないくらいに、どんどんどんどん、エネルギーが補給されてくる。野生動物にも、実りの季節にはそういう僥倖があるかもしれないが、1年365日、来る日も来る日も、消化器官はほとんど休む暇なく働き続け、身体にいわばフローな、緊急時のエネルギーを供給しているのだ。ストックの、通常使うべきエネルギー(脂肪)を使う機構は錆びつかせたまま……。
これが身体にどんな不調をもたらすか、そんなことは本質ではない。そんなことは、この重大な「歪み」が実害として顕在化する諸々の結果に過ぎない。すなわち、それは個々人のプロパティに応じて、様々な形となって現れてくる枝葉末節にすぎないのだ。それが俺の場合異常な頭痛であり、アレルギー性鼻炎であり、背中ニキビだったというだけのことだが、人によっては肥満だったり、本態性高血圧だったり、脂質異常症(高脂血症)だったり、糖尿病だったり、不眠症だったり、うつ病だったり、アルツハイマー病だったり、悪性新生物(がん)だったりするだけの話だ。
俺はここで結構衝撃的なことをさらっと書いている。本態性高血圧の定義をご存知だろうか。これは原因不明の高血圧という意味だ。俺は、この原因が頻回な食事であると書いた。「飢餓」の体質を獲得すれば、本態性高血圧の多くは治る。恐らく本態性高血圧は肥満や脂質異常などの複数の原因が複合して起こっているが、それら全てが改善するからだろう。
我々は食物からその場で得たエネルギーを消費する代謝、すなわちフローの代謝と、過去の食事で溜め込んだ脂肪をエネルギーに変換して消費する代謝、すなわちストックの代謝、二つの代謝機構を持っているにもかかわらず、前者の、フローの代謝しか使わないという異常な生命活動を営んでいるのだ。そしてその代謝機構は生涯、休むことなく働き続ける。年を取れば、そのように酷使された代謝機構は疲れ果ててしまうに決まっている。そうなる前に、我々は代謝機構を切り替えるべきなのだ。
さあ、そろそろ「飢餓」という言い方をやめてみよう。食べるものは欠乏していない、食欲が満たされないわけでもない。ならばこれは飢餓ではない。
現代人は飽食の状態だ。飽食時の特殊な代謝を一生続けてはならない。それは必ず自分の身に災厄をもたらすであろう。食事を適切な頻度に落とすのは、飢餓ではなく、平素だろう。平素の代謝に切り替えるのだ。それが1日1~1.5食だ。
ちなみに本当に飢餓となったときの代謝では、筋肉が分解されて骨ももろくなる。
では平素の代謝だった昔の人は長生きだったのかといえば、そうでもない。しかしこれだけ救命医療が発達し、栄養的にも衛生的にも恵まれた現代において、いったい寿命はどれくらい伸びたのだろうか。『Sugar Busters!』によると、たったの18ヶ月だそうだ。平均寿命は長くなったが、幼児期の死亡率が減ったことによるものが大きく、それらの要素を取り除けば「18ヶ月」ということだ。健康寿命という観点から見ればどうだろう。80を過ぎた一般的な老人たちの健康状態を見てみるがいい。健常者から見れば絶望的に質の低い生活を強いられている場合が多いのだ。80代なら2人に1人、90代なら3人に2人が「要介護」。もはや誰かの援助を受けずに、1人では生活を続けることができない!
さて、事の重要性に気がついて頂けた人向けに、もう少し具体的に書いてみよう。
昨日は代謝機構を切り替える必要性について、正に自明といえるレベルまで本質を掘り下げて説明した。しかしこの切替を成功させるためには、人がなぜ現在のような頻回な食事を摂るようになってしまったのかを知る必要がある。
人はなぜ絶え間なく食べるようになってしまったのか。その答えは一つではない。しかしある一つの栄養素ー糖質ーが原因の一つであることは疑いないことだ。今後、自分の体をまともな代謝に戻していくためには、その栄養素、すなわち糖質の摂取をコントロールする必要があるという意味でも、これについては詳しく知る必要がある。
糖質は、単糖類、二糖類、多糖類、糖アルコールなどに分類されるが、砂糖などの甘いものはもちろん、穀物、根菜類などに多量に含まれている。これらの糖質が他の栄養素と決定的に違うのは、摂取すると血液中のブドウ糖濃度を上昇させるということだ。その意味においては、砂糖も米も玄米も全く同じものと考えて良い。「砂糖と米を一緒にするな」という人がいるが、血糖値を上昇させるという意味において、その違いはない。吸収速度の違いは無視できる程度のものである。正確に言えば「個人差がある」。言えるのは、糖質の含有量と正の相関があるということだけだ。
仙人によると、糖質が絶え間なく食べる習慣を作るのは、概ね次のようなカラクリによるものらしい。
この悪循環にはまると、人は絶え間なく食を摂り続けてしまう。またインスリンの放出が脂肪を燃料にする機構を阻害する。1日中阻害し続ける。
人間本来の代謝に戻すためには、先述の連鎖を断ち切るため、まず糖質を断つことから始める必要がある。いきなり食事回数を減らすのは、空腹感というより飢餓感に苛まれるため困難だが、糖質を含まない食事に変えることは可能だろう。まずは朝、昼、晩と全て糖質を抜いてみる。すると、1日を通じて血糖値の上下がなくなり、徐々に空腹感が和らいでいくのが分かるだろう。
多くの糖質制限者は、1日2食である。このような食事にするだけでも様々な体の不調から開放される。世の多くの糖質制限論者が「糖質=毒」と考え始めるのも無理からぬ事だろう
「糖質=毒」という考え方が間違っていることは、今ここで論述すべきことではない。しかしまず糖質を断たなければ、飢餓感を伴う猛烈な空腹感を克服することが出来ないので、糖質が毒だと思い込んでみることも必要かもしれない。
ここから先は、釜池氏の理論とは全く異なる。
糖質を断ち、食事の頻度が落ちてくると、本来の代謝機構が蘇ってくる。すなわち脂肪を燃やして活動のエネルギーにする生き方にチェンジできるのだ。しかし、糖質制限は実は必要条件でも十分条件でもない。意志の強さで食事の頻度を落とすことが出来さえすれば、必ずしも糖質を制限する必要はない。すなわち理論的には、活動する時間帯において絶食状態をキープできればよいだけなのだ。逆に糖質を完全にオフにしたとしても、脂質タンパク質を絶え間なく補給していれば、その補給した栄養が活動エネルギーに使われることになり、意味がない。
糖質制限はこの問題の本質ではなかったわけだ。事実、糖質を食いたいだけ食って制限などしていない俺の血中ケトン体濃度(エネルギー源が脂質であることの証拠になりうる数値)は、通常の範囲を数倍逸脱している。
糖質制限は、食事の頻度を落とすために行う手段の一つにすぎない。もちろん糖尿病になってしまった人にとっては、血糖値をコントロールする主要な手段となりうるが、病人の論理を一般人に当てはめようとするところに、糖質制限論者(大抵糖尿人か、極度の肥満経験者)の傲慢さがあった。その傲慢さ故に、頻回過剰な食事(過食)という本質的な不健康の原因を見失ってしまうのだ。
いかに糖質を制限しようとも、頻回過剰な食事は内蔵を四六時中働かせ、脂肪の燃焼を妨げうる。絶食の時間を作る事こそ、内臓を休ませ、脂肪の確実な燃焼を約束するのだ。
ただし、子供にはいっぱい食わしてやれと言いたい。親が自分の食事の分を子供に譲ってやることで、子供は健やかに成長するのだ。それくらいがちょうどいいのだし、そうやって人類は生きてきたのではないかと俺は思う。いつだって食料には限りがあって、その制約条件に暴露されることに最適化してきた。それが人間だと思うよ。
俺達は家畜の豚じゃないんだ。思うがままに食えばいいってもんじゃない。
釜池仙人を除く糖質制限論者は、カロリーという言葉が嫌いらしい。摂取カロリーと消費カロリーの収支で体重の増減を説明できないからだそうだ。それは確かだろうが、だからといって、「カロリー」という指標が無意味なものであるとは、全くいえない。脂質1gが9kcal、糖質1gが4kcalという数字に個人差があるということがいえるだけであって、参考値として役立つことは疑いのない事実だ。これがわからない論者が多すぎる。カロリーの数値は他人と比較できないというだけであって、個人的な問題として相対的に利用できることは自明だ。
経口摂取カロリーではなく、吸収されたカロリーとしてみれば、吸収されたカロリーと消費したカロリーの収支で痩せたり太ったりすることは、釜池仙人もいうように熱力学の第一法則を知っていさえすれば疑いようのないことだ。ところが、糖質を毒と思い込んでしまうことによって、肥満も糖質が根本原因であると考えてしまう人々がいる。曰く、インスリンが脂質を中性脂肪に合成するから太るのだ、と。しかしそれはプロセスの一部分を切り取ったに過ぎない。実際にはその中性脂肪が分解されたかどうか、すなわちエネルギー収支で太ったり痩せたりする。当たり前の話だ。インスリンが出ていようが出ていまいが、活動エネルギーが過剰となれば痩せることだってある。そういう常識が通用しないのが専門馬鹿という人々なのだ。聞きかじった(決して自分で基礎研究をやったわけではない)生化学の知識だけを使って、導き出された結論。それが「インスリンで太る」なのだ。例によってエビデンスは後付。
糖質制限で痩せることに成功したと言っている人々の食生活を見てみると分かる。彼らは朝も昼も、一般人から見ればほとんど食べていないことに気づく。チーズだのナッツだのをかじる程度だったりするのだ。
ところで、糖質制限を開始して数日で体重減少に関して目覚ましい効果があることは事実だ。数日で1kg以上減ったりする。しかし、仮にその体重減少が体脂肪の低減であったなら、一体何日分のエネルギーになるか、に考えが及ぶ人は少ない。これは7000kcal前後のエネルギーに相当する。1日に消費するエネルギーは、活動量の多い成人男子でさえ3000kcalなので、2日以上絶食しないと到達できないエネルギーに相当することが分かる。すなわち、糖質制限を開始して数日で減少するのは、体脂肪だけではないことが分かる。恐らく肝臓や筋肉に貯蔵されていたグリコーゲンが減ったのではないかと考えられているが、ともかく体脂肪が減った結果ではないことは明らかだ。
ところで釜池仙人こそこの罠に陥ってはいないものの、彼こそ「糖質=毒」論者の急先鋒だったりするから面白い。
自分の代謝量を1日2500kcalだと仮定する。これを糖質5gの制限で、それも1食でやろうと思ったら、肉、魚、卵、チーズ、バターを中心に、物凄い量を食わなければならない。はっきり言って胸焼けして気持ちが悪くなる。例えば100gで200kcalの牛肉なら、1.25kgになる。夕食だけでこんな量を食うのは不可能だ。仮に代謝が変わって1日の消費エネルギーが半分の1250kcalになったとしよう。それでも約600gの牛肉を食う必要があるわけだ。まあそれなら食材の種類を増やせば可能かもしれないが、やれるかやれないかギリギリの線だ。
自分が食える量を食ってこの方法を続けていたら、元々代謝量の大きい体質のいわゆる痩せ型の俺は、恐らくガリガリの体型になるだろう。それはそれで身軽で良いのかもしれないが、見た目が不健康過ぎて、周りに止められるかもしれない。確実に変人扱いされて生活の質が落ちると思う。60代になって代謝量が落ちれば仙人のような1日1食糖質ゼロな生き方もできるかもしれないが、今はまだダメだ。
それに食事からの糖質を抑えすぎてしまうと、不安が残る。肝臓にはブドウ糖をグリコーゲンに変換して保存する機能があり、必要時にそれをブドウ糖に変換して、血糖値を一定に保つのに使っている。だから肝グリコーゲンが枯渇してしまうと大変なことになる。もちろんそうならない為の、恒常性を保つ為の機能が備わっているのだが、その機能(の一部)は筋肉のタンパク質を分解してアミノ酸を取り出し、それをブドウ糖に変換するというものなのだ。俺は元々ガリガリだった人間で……ええと何と言ったかな、そう、ハードゲイナーという体質だったので、筋肉が非常に付きにくい。だからタンパク質が分解されると聞くだけで寒気がしてくるほどだ。それだけは絶対に避けたい(笑)。だから、肝グリコーゲンが満たされる程度の糖質は食事から確保したい。
非常に大切なことを書き忘れていた。
これは自戒でもあるのだが、生化学なんてものは、ない。素人がそんなことを考えてはならないという意味だ。これを食うとそれが働いてアレに変換されてこういう機序で蓄えられ、ナニを食うとどうなって・・・・・・。しかし生物には恒常性を維持するための、神秘的なほどに複雑な機構が備わっている。塩を取り過ぎたって、コレステロールを取り過ぎたって、ちゃんと身体が調節してくれるんだよ。我々ができるのは、その神秘的な機構を乱さないように、「普通に生きる」ということだけだということだ。
ところがその「普通」に気づくことが難しい。なぜなら、人間の知恵から生み出されたある種の異常な文明、異常な生活習慣、異常な常識が、「普通」を覆い隠してしまっているからだ。もっとも、その「異常」が人間の人間たる所以である可能性が高いのだが、それはまた別の話。少なくともその異常性によって、人間は苦しみの渦中にある。
人類の普通を知るには、それらの「異常」を「異常」と気づくための観察力が必要で、全てに疑いの目を向けてみるべきだ。
まず、食うのは夕食だけである。釜池仙人によると、消化するのに内蔵が働かなければならないのに、これから働きに出かける直前に朝食摂ってどうする、午後も働くのに昼食摂ってどうする、夕食しかないでしょ、ということである。理屈上全く反論の余地がない。普通の人は腹が減って仕方がないが、仙人道に入ってしまえば、日中特に腹は減らないので問題ない。
次に夕食には何を食うかだ。まず最初に、肉魚チーズ卵と一緒に、野菜を色々食べる。本当の意味で腹が減っているので、多少苦手な野菜でも問題なく食える。副菜もひじきなどの海藻類やら、豆類、根菜類も少々食べ、それでもまだ腹が減っているようなら、米飯やパン、パスタなどを最後に食べる。食後のデザートを食べてもいい。ここがポイントで、取りきれなかったエネルギー不足分を補うために、意図的に糖質を利用するのだ。いわば最後の帳尻合わせとして使う。だからそれまでの肉食で腹がいっぱいになってしまえば、糖質は取らずに済ます事も有り得る。
とはいえ、糖尿病の原因と言われたりする血糖値の急激な上昇はできれば抑えておきたいところだ。そこで、食前にある種の「運動」をするのだが、この運動は明確な目的を持って行われるものでなければならない。すなわち、筋グリコーゲンの枯渇を狙うのだ。筋肉中にはグリコーゲンという物質が貯蔵されている。これは強度の高い運動を行った時、いわば緊急時にエネルギー源として使われる。
チーターは獲物を追いかける時全力で走り回るが、この時使われているエネルギーの一つが、この筋グリコーゲンである。チーターは数分走り回るとこの筋グリコーゲンが枯渇してしまい、地面にうずくまって回復を待つ。どうやって回復させるかというと、血中のブドウ糖を取り込むのだ。この時にはインスリンの助けを必要としない、すなわちインスリンなしに血糖値が下がるということだ。
ようするに、夕食の前に「筋トレ」をする。それだけで食後の血糖値の上昇を抑えることができるというわけだ。しかもインスリンの登場なしに、だ。もちろん血糖値の上昇を抑えるだけではなく、筋力の維持と向上に役立つので、ややもすると痩せすぎてしまうこの食事法と平行していくことは、強く薦められる。
筋トレが効果的な部位は、大きな筋肉すなわち、大胸筋、広背筋、脊柱起立筋、大腿四頭筋、ハムストリングス等である。懸垂、ベンチプレス、デッドリフトやスクワットを行う。それも目一杯強度を高め、これ以上は無理というところまで2~3セットやる。
筋トレをすれば白米や甘いモノが食べられる、と考えるとモチベーションも上がって継続しやすい。
体質によっては1日2食でないとどうしても耐えられない人がいるらしい。その時は朝食か昼食か、好きな方を食べるといいが、絶対にやってはいけないのが、糖質を摂取することだ。糖質5gを超えて摂ると、かなり長時間、脂肪をエネルギーとして使えなくなってしまう。そして何より空腹スパイラルに陥ってしまう。昼食をしっかり取るのなら、それでもいいが、その昼食の糖質は5g以下でなければならない。すなわち、主食を抜き、根菜類や甘いものを避けることだ。
最重要命題を振り返ってみよう。
すなわち、ヒト本来の燃料を使って生きていくためには、飽食という僥倖から逃れればよいのであった。1日1食である。消化器官により良く働いてもらえるよう、夕食のみにするのであった。そしてその食事でたっぷりの脂肪を蓄え、明日のエネルギーとして使うのだ。一々経口からの消化プロセスを経ずに済む、素晴らしいエネルギー源だ。生活の何もかもが良くなるといっても、ちっとも過言ではない。食事の楽しみがなくなる、と思うなら食べればいい。そういうことではなくて、夕食以外特に食べたくなくなるだけなのだから、QOL(生活の質)の低下とはいえない。
脂肪を蓄えるのは決して悪いことではない。悪いのはその蓄えた脂肪を使わないことなのだ。
ホメオスタシスを活性させるには一時的に食うことをやめるなどして、身体がそれに集中できる環境を作ってやる、これが効くのだろう。根拠はないがそう信じている。
一方子供は、脂肪を蓄える暇もないほどに成長にエネルギーを使う。子供には腹いっぱい食わしてやりたい。自分が食わなくなった分を与えるように。
糖質制限の理解なくして断食をすすめてはならない - たがしゅうブログ経由で、本質を見過ごしてはいないか - たがしゅうブログ
私は少食療法の本質はケトン体を有効利用するところにあると考えています.
とのこと。おかしいと思うのは、それが本質だと気づいているのに、なぜ自分は糖質制限一本槍なのか、ということだ。その理由らしきものが以下に述べられている。
それに高糖質食で1日1食を生涯に渡って実践し続けるのは私には不可能です.高糖質食摂取後の異常な空腹感に私では到底耐えられないからです.だからこそ私は,自分で言うのもなんですが,医師であり真面目な人間であるにも関わらず,高度肥満体まで至ってしまったのです.
高糖質食(とやら)でも、夕食1食なら、反動の低血糖による異常な空腹感
はない。夕食から朝起きるまで12時間近くあるわけだからね。1日1食を否定する論拠としては弱い。
それに「到底耐えられない」というのがダイエットを否定する理由として成立するのなら(まあ成立するだろうが)、糖質制限食が到底耐えられない人こそ大多数なのだから、糖質制限食こそ、ダイエット(食事療法)として否定されうる。
このような糖質制限派の医師も、南雲石原に比べれば大分マシだが、本質を見過ごしているのではないかと思う。つまりただの食い過ぎ(1日3食)という本質を。糖質制限食は確かにケトン食となりうるかもしれない。しかし少食であることによる利点はケトン体だけではなく、内臓を長時間休息させることにもある。
ケトン食の理論とエビデンスと実践法を解説するサイトです。
①空腹時血糖値≧126 mg/dl または②75 g 経口糖負荷試験(OGTT)2 時間値≧200 mg/dl,あるいは③随時血糖値≧200 mg/dl)として診断されるものだ。① OR ② OR ③ だ。①②③全て白でない限り、糖尿病だってことだ。ところが糖質制限者が引っかからないのは①と③だけで、②つまりOGTTをやれば確実に引っかかる。つまり糖尿病は治ってないんだよ。ちっとも。インスリン抵抗性なのかインスリン分泌不全なのかは置いておいて、ともかく糖質を取ると血糖値が爆上がりするのが「糖尿病」だってことだ。どんなに詭弁を弄しても、この事実は変わらない。まあ軽度のインスリン抵抗性の人の中には、ひょっとすると本当に治ってしまう人もいるのかもしれないが、本当にまれな事例だろう。
糖質を摂ると血糖が上がる。一部はグリコーゲンとしてインスリン非依存的に貯蔵され、あるいは速やかにエネルギー代謝に向かい、残りは脂肪に変わる……?
でも実際にはそんな足し算引き算で脂肪が蓄積するものだろうか。俺にはどうしても合点がいかない。糖質は脂肪に変換されにくいという結果を示す研究も色々あるようだし、なにしろ俺自信の体が、糖質だけを摂り過ぎても脂肪にはならないと言っている。同じ糖質量で太っている人もいれば、痩せている人もいるように見える。白米をたくさん食べていた時代のほうが肥満が少なかったといったソースもちらほらある。
それでもやっぱり理屈で考えれば、消費されなかった糖質が代謝されるゴールは脂肪以外にはない、としか思えない。糖質のプールは筋肉と肝臓のグリコーゲンしかなく、尿中に排泄したらそれはもう糖尿病なんだから。だとすれば糖エネルギー代謝の効率か、さもなくば糖の吸収率等に鍵があるとしか考えられない。
自分の身で考えてみると、ハードゲイナーの俺は糖エネルギー代謝の効率が悪すぎて、つまり摂取した糖質が浪費されてしまい、脂肪として蓄積されるほどのグルコースがあまらないどころか、場合によっては全く足りなくなるために糖新生が亢進しつづけ、筋量も増えづらいというところのなのではないか。
そこへ糖質を制限し体が飢餓モードになれば、俺が生物としてまともな代謝システムを保持しているとすれば、エネルギー代謝効率は上がるに決まっているから、この状態で過剰な糖質を摂ればどんどん脂肪になるに違いない。
ガイドプレートの動きの制限 と ワイヤーの張りの二つを行うだけの簡単なお仕事です。ロー側の微調整はロー側調整ボルト、アウト側の微調整はワイヤーのテンション調整で行う。アウト側調整ボルトは、レバー操作でアウト側にチェーンが落っこちないよう、ガイドの動きを制限する為に使うだけ。
脚をだらしなくブンブン振り回して膝をピーンと伸ばし、踵の角から着地させる……
これは、筋力を使わずに楽に歩くためには最高の方法だが、踵が地面に着地するときの衝撃を靴が吸収してくれているからこそ可能な歩き方である。また膝関節への衝撃も結構激しいのだが、これが顕在化してくるのは50を過ぎてからだ。
正しく歩くためには、踵の角だけではなく全体を使って着地し、また膝を伸ばしきらずに膝関節というショックアブソーバーを使って着地の衝撃を和らげる必要がある。
これを自然に行うには、膝を伸ばせない状況を作ってやる。お尻を後ろにつき出すような格好(スーツを着た黒人が周りにいれば、その人の姿勢が参考になる可能性が高い)をイメージし、その姿勢を維持したまま歩けば良い。とても簡単だ。慣れてくればお尻を無理に突き出すことなく、自然とこの歩き方になる。
歩行スピードに応じて、体を前傾させる必要がある。まあ普通の運動神経を持っているなら自然とそうなる。そのまま、どんどんピッチを上げ、前傾姿勢を強めていったらどういう動作になるか、もうお分かりだろう。そう。ランニングの姿勢になる。
決して楽な歩き方ではない。現代人の歩き方と比べて、大腿四頭筋と脊柱起立筋に若干負荷がかかる。しかしそれが非常に良い運動になるという意味でも、正しい歩き方であるといえるだろう。
ここまで書いてみて気づいたが、俺の考えが間違っていなければ、競歩は最悪な歩き方であり、恐らくあれを長年続けていると確実に膝関節をやられるだろう。