医療の逼迫は国や自治体の方針を変えればなくなるんです
死にかけの老人に人工呼吸器を使うなど普通の肺炎ではあり得ませんが、コロナ肺炎では使ってるようです
コロナじゃなかったら余程家族の強い希望がない限り、そんなもん使いません
普通は酸素吸入だけして終わりのことが多い
そこら辺を考えず、騒いでる奴らが嘆かわしいです
1類のエボラ出血熱,コンゴ出血熱は致死率が極めて高い極悪ウイルスですし,ペストに至っては中世ヨーロッパの3人に1人が死んだという記録があり,感染力も死亡率も新型コロナの比ではありません。よって,新型コロナは1類に入りません。
2類にはポリオ,ジフテリア,SARS,結核がありますが,感染力の強さ,後遺症の激烈さ,致死率は新型コロナどころではありません。ポリオはなんとか根絶できたウイルスですが,もしもどこかに隠れていて復活したら,新型コロナどころの騒ぎではなくなります。よって,2類に入れるのは無理があります。
では3塁ではどうかというと,腸管出血性大腸菌感染症・コレラ・チフスは感染力が新型コロナより格段に強く,死亡率も高いです。よって,新型コロナは3類には力不足。
4類には黄熱病,Q熱,狂犬病,炭疽という錚々たるメンバーが名を連ねていますが,これらは「ヒト⇒ヒト」感染はしませんが,致死率が極めて高いものばかりです。例えば,狂犬病は現在も治療法はなく発症すると致死率100%,つまり,絶対に助かりません。同様に,炭疽菌感染も治療が遅れると致死率は90%以上でほぼ確実に死にます。炭疽菌が現在もテロ目的で使われているのはこのためです。もちろん,生物兵器への転用も可能です。同様に,人畜共通感染症のQ熱は致死率が1~30%で,新型コロナの死亡率とはこれまた数桁低いのです。よって,新型コロナは4類でもありません。
5類にはインフルエンザ,AIDS,梅毒,麻しんなどで,これらは新型コロナより感染力が強いもの/弱いもの,致死率が高いもの/低いものがありますが,新型コロナは上記のように「4類以下」となるため,入れるとしたら5類しかないのです。そうであれば,5類にすべきです。
なお,どのようにしてこの1類~5類までの分類が作られたのかは不明ですが,病原体としても毒性の強さ(=致死率の高さ)と感染力から作られたものと想像され,現実の感染者数も勘案したものではないことは明らかです。つまり,「世界で蔓延しているから2類」ではないと思います。
おもしろいもので、人は事実に対して躍起になることはないが、「信条」に対しては躍起になる。なぜなら「信じる」ということしか根拠がないからである。宗教の熱狂的信者やマルチ商法の人が常に躍起になるのはここに理由がある。
・人によって体格や筋肉の使い方が違うので、理想のポジションは人それぞれである。
・私を含め参加者は上半身の筋肉が使えていない。「全身の筋肉を使って漕ぐ」ことが効率的なペダリングへのゴールである。
おそらく,子ども時代の「幸せ」と大人になってからの「幸せ」は全く異なっているのではないかと思います。つまり,子ども時代の「幸せ」は親から与えられる「幸せ」であり,いわば親が「こうすれば子どもは幸せに感じるはずだよね」という一方通行で与えられたものです。でも,子どもの頃って「与えられた幸せ」で十分に満足できたような気がします。
しかし,思春期以降になると「親から与えられた幸せ」では「幸せ」ではなくなり「自分で見つけた幸せ」を求めるようになります。そして,それが見つけられないと心は不満で不安定になっていく・・・と。つまり,そういうことじゃないかな,なんて考えています。
幸福感とはもしかしたら,「自分がこの世に生を受けた理由はこれだった!」という「何か」に出会うことでも湧き上がる感情ではないか・・・と考えています。
子どもが生まれると「自分がこの世に生まれたのはこの子どもを守り,育てるためだ」と多くの親は感じると思います。同様に,特定の異性や同性の相手に「この人に出会うために自分は生まれた!」と感じる人もいるだろうし,学生時代に未解明の物理学の謎に魅了されてその解明に一生を捧げる物理学者もいるし,忘れ去られた20世紀前半のピアノ曲の発掘に生涯を捧げるピアニストもいるし,地域社会の安定のために奔走する人もいます。どれも全て,その人にとっての「自分がこの世に生まれた理由」でしょう。
私にとってその「何か」は湿潤療法です。私は39歳の時に誰一人先達がいない状態で湿潤療法を一人で勝手に始めましたが,この時私は初めて「自分が医者になった理由」がわかりました。「中途半端な形成外科医のまま一生を終えるのかなぁ~」なんて考え始めていた時期でした。
私は毎日飲酒していますが,現実逃避のための飲酒をしていたのは20~30代の頃までで,湿潤療法を開発してそれに真正面に向かい合うようになってからは,現実逃避したくてもできなくなり,それ以降は「現実逃避のためのお酒」は飲んだことがありません。だって,現実の問題はお酒を飲んでも解決せず,現実の問題は現実で解決するしかないからです。だから,問題を解決してからお酒(問題解決法お方により,美味しかったり苦かったりするけど・・・)を飲むしかありません。